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福岡高等裁判所 昭和39年(う)307号 判決

主文

原判決中被告人の関係部分を破棄する。

被告人を懲役六年に処する。

原審における未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

原審における訴訟費用中証人筒井易一、同今村義男、同山口房江、同草刈サダ、同青木真夫、同阿部広に支給した分は被告人及び原審相被告人山崎権四郎の連帯負担とし、証人山崎権四郎、同野中栄、同古川徳男、同坂本正則、同大宝国春、同池見清、同山口丈夫、同小宮三之助、鑑定人岡本邦男に支給した分及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人高良一男が陳述した控訴趣旨は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意補充書並びに同副島武之助提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意中事実誤認の論旨について。

趣旨は、(一)本件犯行の動機の点、及び(二)放火の手段による発火の可能性の点から原判決の事実認定の誤謬を主張するものであるから以下(一)及び(二)の点を順次判断することとする。

(一)  動機の点(高良弁護人の趣意第一点及び第四点)

所論に依れば、被告人は経済的に割と裕福であって、本件放火に加担すべき動機がなく、本件家屋を焼燬しても何ら得るところはないので、放火を共謀する理由がないというのであるが、保険金を目当てとする放火の動機がすべて金に困った結果とは限らない。経済的に多少の余裕があるからといって、本件の如き放火による保険金詐欺を企図しないものとは断定できないのみならず証拠によれば被告人所有の貸店舗は焼失し、被告人が社長であった長崎ライラック株式会社の経営は頓挫し、本件放火当時被告人には事業収入のみるべきものはなかったことが認められるので、被告人が経済的に失意の状態にあったとの原判決の認定は相当である。そして、右所論の根拠とする前記貸店舗の焼失により受取った保険金九百七十万円をもって、被告人が経済的に余裕ができていたとの点については、原審第三回公判調書にみられるように被告人には多くの負債があって、右保険金も親和銀行より差押えられ、八百万円をその弁済に充当させられたことが明らかである。また右敷地の売却代金五百万円を有していたとの点は、これを認め得べき確たる証拠はなく、殊に本件放火当時被告人がかかる預金を有していたことの証明もない。なお長崎市港外高島町でバス事業を計画し、昭和三七年三、四月頃には許可になる見透しがついていたとの点に関しては、それは単なる将来の事業計画であって、昭和三六年一二月の本件放火当時においては、これによる事業収入が得られたわけでなく、かえって右事業に対する資金の準備の方が必要であったわけである。

次に、被告人が本件家屋に対する火災保険金九百万円につき質権(内縁の妻倉富伊都子=イツ子名義)を設定していたので、右質権相当の保険金を取得できる可能性を有していたことは証拠上明らかであって、本件家屋の焼燬により被告人には何ら得るところがないわけではない。また原審証人青木真夫、同阿部広及び同草刈サダの供述記載を総合すれば、右質権設定は青木真夫の指図によるものではなく、被告人の要求にもとずくものであったことが認められる。したがって、論旨第一及び第四点はいずれも主張の前提を欠くものといわなければならない。

(二)  放火手段の点(副島弁護人の趣意第一、二点及び高良弁護人の趣意第二、三点)

原判決が、昭和三六年一二月一六日午後六時三〇分頃原審相被告人山崎権四郎において被告人方を訪れ、放火の計画を実行すべきことを被告人と謀議をなした事実を認め、且つ「被告人は山崎が用意してきた三枚重ねのビニール袋を同人より受取り、自宅北方の車庫に格納中の自家用自動車のガソリンタンクから長さ約五六糎のゴムホース(昭和三八年押第五九号の5)を使用してガソリンを吸上げ、約三合(〇、五四立)を右ビニール袋に注入してその口を紙紐で緊搏して洩らないようにし、その上から新聞紙で包んで、同日午後八時三〇分頃山崎が帰ろうとする際に自宅門柱脇でこれを同人に交付した」との事実を認定していることは所論のとおりであり、原判決の挙示する証拠によれば右事実は優に認められるところであって、所論を参酌しても右認定を左右し得るものはない。すなわち、所論は鑑定人岡本邦男の鑑定によれば前記ゴムホース中をガソリンが通過した形跡はないと鑑定されたと主張するが、右鑑定書によれば、右ゴムホース中に残存する可能性のあるガソリンを抽出(エーテル抽出法により)して、確認することはその乾燥状態から判断して不可能であり、ゴムホースを焼燬灰化して灰分中の鉛の含有量を検定する方法をとっても、明確なる結論を出す可能性は少くないとして、ガソリン通過の有無については結論を示していないことが認められるから、所論は右鑑定を正解しないものであって、採用の限りでない。また科学警察研究所において前記新聞紙の焼片につき石油製品様の物質が付着していることを認めるが、その種別については不明であると鑑定していることに徴し、右鑑定が付着物をガソリンか揮発油か判然と示していないことは相違ないにしても、原審相被告人山崎権四郎が本件放火に使用した油がガソリンであったことを証明する資料がないわけではなく、原判決の挙示する右山崎の供述及び被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書によれば、被告人が自家用自動車のガソリンタンクから前記のようにして抜き取ったガソリンであることが認められ、反面右山崎が徳永薬店で買求めた揮発油を使用していないことは、原審証人草刈サダに対する尋問調書及び右山崎の検察官に対する昭和三七年一月一三日附供述調書により同日右揮発油入り瓶を草刈サダに預けたままにしていたことが認められることに徴しても、これが明らかである。

而して、被告人が自家用自動車のガソリンタンクからガソリンをビニール袋に移すにあたり、前記ゴムホースの一端をタンクに入れ、他端を口にして吸上げ、上昇してきたガソリンをビニール袋に移す方法をとったことは原判決の挙示する被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書により認められ、右方法によりガソリンタンクからビニール袋にガソリンを移すことが可能であることは当審における鑑定人谷巌の鑑定の結果により明らかである。次に、高良弁護人は原審相被告人山崎権四郎の供述するごときガソリン入りビニール袋を包んだ新聞紙にライターの火をもって点火し、ガソリンに引火させる方法では発火の可能性はないと主張するけれども、右のガソリン、ビニール袋及び新聞紙のいずれも容易に発火し得るものであって、ガソリンを入れたビニール袋を包んだ新聞紙に点火した場合、新聞紙の火はビニール及びガソリンに極めて容易に引火することは明白であり、発火の可能性がないとは到底認められない。

さらにこの場合に新聞紙が燃え残っていたという事実は全く不自然であるとの主張は、司法警察員の実況見分調書及び添付の写真二四葉より三一葉、原審第一五回公判調書添付の写真並びに押収の新聞紙焼燬片(原審昭和三八年押第五九号の4の1、2)を検討すると、新聞紙は含みの底になつて、畳に密接していた部分だけが僅かに白さを保っているのみで、それ以外の部分は全く燃え尽して黒色灰片化しており、紙紐の一部が燃えて融解したビニールで固まっていることが認められ、これは新聞包みの側面から点火され、引火したガソリンの焔が上に向い、ビニール袋の溶解したビニールが下敷になった部分の新聞紙の完全燃焼を妨げたため、該部分を燃え尽すに至らなかったものと推測することは、毫も経験則に反するものとはいえない。従って新聞紙が燃えない尽の状態で、前記の如く若干でも燃え残ったことをもって所論のごとく別段不自然というべきではないから、放火の方法が原判示認定とは別の方法であったと認むべき根拠とすることはできないので、右主張には同調し難い。

その他所論は、原審が採証の法則を誤っており、その証拠として引用する山崎権四郎の証言又は供述調書の記載及び草刈サダの供述調書記載の供述には信用性、信憑力がないと批難するものであるが、被告人が前示の如くゴムホースを使用してガソリンを吸い上げたと認定したことは、鑑定人岡本邦男の鑑定の結果と矛盾する点はなく、右の方法は、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述によるものであって、デツチ上げではなく、これをもって非常識なる採証というのはあたらない。また、相反する供述がある場合、その一方の供述を採用するにつき、必ずしも物証による補強を必要とするわけではなく、殊に山崎権四郎の供述を補強する物証(原審昭和三八年押第五九号の4の1、2)が認められ、右供述に矛盾する鑑定の結果はないので、原審が右供述を採用し、これと相容れない被告人の供述部分を排斥したことには採証の法則を誤ったというべきものは認められない。更に、共犯者として起訴された共同被告人の供述を共同被告人一方の証拠とする場合には、その信憑性につき慎重に検討すべきであることは所論のとおりであるが、本件における山崎権四郎の供述は当審の事実取調べまで終始一貫して変るところがなく、他の信用のおける証拠に比してもその本筋において合理的な疑を挿入する余地が見出し難く、本件証拠全体の整合性からみて、原審が右供述につき信憑力を認めたこと、及び原判決が引用せる証人草刈サダの供述記載部分についても同様であって、これらの供述証拠につき原判決が証拠の取捨選択並びに証拠の評価を誤ったと認むべきものを発見することはできない。

以上のとおりであって、原判示事実は挙示の証拠によりすべてその証明十分であるから両弁護人の叙上の各論旨はいずれも認容し難く、記録を精査しても原判決の事実誤認を見出すことができず当審における事実取調べの結果によるも原判決の事実認定を左右するものはない。論旨は理由がない。同控訴趣意中量刑不当の論旨について。

原判決が被告人の未決勾留日数八〇〇日以上であるのに、僅かに三〇〇日を本刑に通算したにすぎないことは所論のとおりであり、たとえ被告人が公訴事実を争うが故に審理期間を遅延し勾留日数を増加せしめた場合であっても、そのことだけをもって未決通算を殊更にしないことは必ずしも妥当ではなく、また本件記録、原審及び当審において取調べた証拠に現われている被告人の境遇、犯罪の情状及び犯罪後の情況に鑑みるときは、被告人に対する原判決の科刑はいささか重きに失し、量刑が相当でないので原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法第三九七条第三八一条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に自ら判決することとする。

原判決の確定した事実に法律を適用すると、原判示被告人の所為は刑法第一〇八条、第六〇条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法第二一条により原審における未決勾留日数中六〇〇日を右本刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して主文第四項のとおり負担せしむることとする。

よって主文のとおり判決する。

検察官 片山恒出席

(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 天野清治 平田勝雅)

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